there is the hole
2021-2022
映像、写真、立体
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この作品は 2 種類の作品で構成されています。1 つは穴を空間に展示する 作品(妙蓮寺)、2 つは穴を掘る行為の記録展示(元 Lumen gallery)です。 2 つの作品は別々の文脈から穴を説明しています。
1 つ目の穴を空間に展示する作品では、穴のという存在が人にどんな影響 を与えているのかからインスピレーションを得て、現代社会のシステムを使 い空間にどのように穴を掘らせ存在させるのかを試みて制作されています。
国や宗教に問わず、悪いことが起こると穴を掘り何かを埋める行為は昔か ら行われていました。「土に帰る」という言葉があるように地表より下に埋 めることで地球と一体化になり無かったことになると考えたのではないでし ょうか?さらに、平安時代に作られた大鏡の一説にこんな面白い文章があり ます。「だから、昔の人は何か言いたくなると、穴を掘っては言い入れてい たのでしょう。」穴は物を埋めるだけではなく、記憶や思い、考えも同時に 埋めてしまえる不思議な力があることが昔の人も気づいていたことがわかり ます。子供の頃に埋めたタイムカプセルに何を入れたのか思い出せなくなり、 時間が経てば埋めた場所も思い出せなくなり、タイムカプセルの存在自体も 忘れてしまうように。 現代の街の構造では、穴が掘れる外は公共空間として管理され好き勝手に 掘ることは難しいです。そこで、穴をアート作品にすることで部屋に飾る= 穴を掘るを可能にすることが出来るのではないかと考えました。この作品は 面白おかしく作られてはいますが、言葉や記憶の劣化がインターネット社会 により難しくなっている現代社会のシステムの不満を遠回しに問いかけてい ます。
2 つ目の穴を掘る行為の記録展示では、穴を掘るという行為が与える思考 の影響に注目しています。 穴を掘るシーンは映画やドラマに度々現れ台詞に比喩として穴という言葉 が使われたりします。面白いことに穴は人の内面を表すシーンとして使われ ていることが多いことです。それは、物を穴に埋める前に必ず掘っている自 分自身が先に穴の中に入いらなければいけないという、穴の特殊性が、真逆 の立場も経験させ、それによって自分の内と外を穴を通して繋げていくから なのだと考えました。そして、ある目的のために穴を掘っていたはずが、穴 を掘ることが目的となり、視界から地表が見えなくなった時には自分が穴の 中にいるという状態が1つの動きによって引き起こされ、さらに見えている 景色も同時に移り変わることで自分の思考に埋没してしまうのだろうと思い ました。自分の存在を穴に隠すことにより、新しい自分に生まれ変わろうと している。それはある種儀式の様でもありパフォーマンスと言えるのではな いでしょうか? 展示されている映像は、作者が実際に穴を掘った時の記録映像です。展示 会場には実際には存在しない穴が、様々な角度から撮影された映像を実際の カメラ位置から鑑賞することによって頭の中に穴のスケールか組み立てられ ていきます。穴を掘るという単純な動作が展示することによりパフォーマン スとして成り立つことを示す試みをおこなっています。