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Kuuk_no_kyoumei
​鴨川の鏡の人

​鴨川で100日間、鏡の前に座った事について

鴨川に鏡を持って座ることを一年かけて100日間行った。

毎日、違う所で出会うホームレスがいる。取締りにより居座る事を許されておらず、移動し続けなければならないからだとインターネットで知った。続いて、公共の場に、座り込みが出来ないようにする排除アートというものが置かれているという記事が出てきた。そういえば、友達から2018年東京に何者かによって描かれたFREE REFUGEES、REFUGEES WELCOMのグラフティーが入国管理局によって消された出来事について再度問題視されていると教えられていた。

彼らの事が気になった、インターネットで「ホームレス 京都」で検索してみる。「河原町のジュリー」が出てきた。1980年代、京都の人で知らない者はいない有名なホームレス、河原町のジュリーがいた。長髪でボロボロの服を身にまとい、繁華街を徘徊していた。その目立つ風貌から、見れば幸せになるとか都市伝説にもなっていたらしい。死に際しては京都新聞で報道された。

移動を余儀なくされる彼らと、居座りを許されたジュリーがいた場所は同じだ。今、わたしがわたしとして、公の場で振る舞い、すごせ無いのであれば、誰かがわたしに気づき、わたしの事を考え、思ったりする事はないのだろうか?

 

公の場でのわたしの気づかれ無い振る舞いを見たいと思った。鴨川に鏡を持って行き、鴨川に向かって座るわたしを鏡に映してみる。鏡越しのわたしの後ろを人々が行き交う。眺めている間に、徐々にわたしはわたしの振る舞いを始めた。

鴨川に集まった人々は、各々がしたい事をし、過ごす。お互い干渉する事をしないが無視するでもない。みんながジュリーであるかのようだった。わたしは100日間鴨川に通い、鏡の前に座り込んだが、咎められたことは一度もなかった。それぞれの振る舞いで公で過ごすこと、それはきっと、密かなる抵抗になるのだ。わたしとしての振る舞いが公ではみ出るとき、わたしがここに居るという事ではないだろうか?

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